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短歌と日記

一日一短歌

悲しみレス

家でインスタントコーヒーばかり飲んでしまうので、スタバに行ったらカフェインレスのディカフェを飲むことにしている。ふつうのコーヒーとほとんどちがいがわからない。いえ、まったくわからない。カフェインってなんなんだろう。スタバでもらった新作の試供品がおいしかった。たしか、ストロベリーフラペチーノ。試供品がじぶんの席までまわってきて安心した。

 

五年後の甘みを増した後悔とこのコーヒーはとても合います

 

 

 

空の楽しさ

すっかり空が夏めいて眩しい。散歩も公園も運動も自転車も登山もキャンプも釣りも花火も、空があるから楽しくなる、空とセットの楽しさ。ミサイルいらない。

 

きのう見た空とおんなじ顔をしてあなたは誰の希望となった

 

 

ロボットの憂鬱

そんなわけないんだけど、時々じぶん以外の動いているものが全部AIを積んだロボットなんじゃないかと思うことがある。ソフトバンクの店先には本物のロボットが突っ立ってる時代。あいつロボットじゃないじゃん。生身のにんげんじゃん。かっこわる。ってこれ銀河鉄道999の世界だ。こどもの頃に夢中で読んだ漫画って後の人生に大きく影響するもんなんだなー。久しぶりに読んでみよう。

 

ファミレスのワタシ以外のにんげんがロボットでした雨はヤマナイ

 

 

悲しみのバロメーター

人に言えるくらいのトラウマはトラウマではなく苦手なだけだ。カタカナの響きが意味を軽くしているストーカーと同じこと。本当に心を痛めたできごとは簡単に人に言えない、ましてネットで発信することなんてできるわけないと思うんだけど。この悲しみもブログに書けるなら、私はまだまだ大丈夫。

 

ありがとうブログに書けるちょうどいい悲しみばかり与えてくれて

 

 

 

 

二十五回目の死

他人の会話から「あの人、死んでくれて良かった」が聞こえてきた。死んでくれて良かった人はもういないはず、だけどどんな人だったか気になる。きっとその人にとってはとても悪い人で嫌いだったはず。嫌いな人と同じくらい、それ以上に、好きな人の死をたくさん考えている気がする。心配性なのか。幸せ慣れしていないのか。私の死を考えてくれている人がいるほど私はちゃんと生きているのかな。

 

大好きな君は私の中でもう二十五回は死んじゃっている

 

 

 

 

壊したくなるシンドローム

綺麗なものや可愛いものを見ると、綺麗とか可愛いさを通り越して全部壊したくなる衝動に何かの名前がついているのか。はじめから壊れているものを見るとどこか安心した気持ちになる。

 

淀みなくすんと佇む雪原に石投げつけて悲しんでいる

 

 

春の景色

久々の大阪。久々だと街の風景が微妙に変わってる。その街にいる人たちも昔とは違っているはず。住みたいと思った街がない、住みたい街に住んでいる人は幸せだと思う。東京は家賃が高くて住みたい街と言うより住める街になる。この春も何も変われなかった。

 

春なのに出会いも別れもなかったら春はやさしく笑うでしょうか